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2010年がもうすぐ終わる。
どんな一年だったっけ?と、自分のブログを読み返してしまったり。

残念だったほうからいくと、自分のことも周囲のことも含めて天候不順、事故、怪我に泣かされた一年だったかな。
まぁ、そういう遊びをしてるので、しょうがないとも言えるけど。
ついぞ9月の東北旅行はブログにもUPしなかったけれど、1週間も行って、入渓出来たのはたったの1日だけ、なんて目も当てられなかった、トホホ~
天気が悪いと山にいけず、体力低下・・・これはまずいね、なんとかしなければ。


よかった事はなんと言っても人とのつながり。再会、出会い、絆。
相方とは距離的に離れてしまった今年だったけど、却って信頼感は深まった、と思う。
付き合いの途絶えていた友人と、ひょんなことで再会したり、また一緒に遊ぶようになったこともとても嬉しい。
それに今年も多くの素敵な人たちと出会って、また世界が広がった。
いろんな方向にアンテナが伸びたり、新しいことをはじめたのも、人との出会いがきっかけだったことが多い。
シャドウヨガもその一つ。あ、これで鍛え直せばいいのよね。

も、自分ひとりで悩んだり、力んだりしたって起こることじゃない。
ホント、特に北海道に移住してからは強く感じるのだけど、私は周りの人のお陰でなんとかやってるなぁ、と。
周りにいてくれるみなさん、今年一年、どうもありがとう
新しい年も、みんなにとってよい年でありますように
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2010.12.31 / Top↑
ぴあんじぇれ・・・なんのこっちゃ?
イタリア語で「泣く」
涙もろい自分に気づく今日この頃。

小説や映画に感動して泣くことは以前からあったけれど、なんだか最近、実用書やお堅い本を読んでも、スイッチ入っちゃうことがある。

先日も飛行機の中で「秘密のファイルCIAの対日工作」を読んでて何故か涙がぼろぼろ。
落ち着けー、自分、て念じてみるんだけど、涙は引っ込まない。
鞄からごそごそとタオルを出したけれど、恥ずかしいったらありゃしない。

読書家の友人Bずさんが「歳をとるとあちこちゆるくなって・・・」と冗談交じりによくおっしゃいますが、あららら、あたくしも四十路を前に実感です(笑)


大自然や旅などの映像を観ていても、数年前から感じることがある。
「人は実感としてそれを知っていると、映像などの疑似体験をも120%楽しむことが出来る」

裏を返すと、まだ、旅にせよ経験にせよ、少ししかしていなかった10代の頃は、TVでどんな景色を観ようが、どんな素敵なストーリーを読もうが、「へー、そうなんだ」位にしか思えなかった。
へそ曲がりなんで「だって、所詮、他人の見た景色でしょ?」とか嘯いていた(ナマガキだ)
そして私はTVを消して、外に飛び出した。

あっちだこっちだをほっつき歩きつつある今だと、例えばどこか奥地の素朴な山村や、南国のビーチや、南極(?!)でも、そこへ行ったことがなくても、ちっとはその空気を共有することが出来る(気がする)。そしてそれを舞台にした物語にも、より入り込めるのだと思う。
件の本の記述に涙してしまったのは、第二次大戦中、戦場となった南の島(今は無人島)で少しの間過ごし、また戦争の話を現地で聞いて、テントの中で夢にまで見た自分の経験が元になっているのだろう。


一方で、他人の書いた書評、映画評、劇評などの読みの深さに驚くこともしょっちゅう。
世の中にはそこらじゅうに宇宙が広がっていて、その観測機器を手に入れるも入れないも自分次第だということに改めて気づく。
山奥の冒険も良いけれど、そんな冒険もいいよなぁ。
なんて、おてんば娘のン十年後がいまさら気づくのであった。
2010.12.14 / Top↑
八日目の蝉 こころと脳の対話 


「八日目の蝉」角田光代

不倫相手の赤ん坊を誘拐して逃亡、4年間育てる女が第一章の主人公
本来の親元に戻るも、仮面家族の中で育った女子大生が第二章の主人公
設定があまりにもとんでもない、いや、でも現代ならあり得る話か・・・?
と、微妙に冷めた目と、少し温かい心を維持しながら読めるちょっと不思議な小説。
角田さんのエッセイを読んで、相当に(いい意味で)変な人だと好感を持っていたので、小説は初めてだったけどナルホド~と納得。
登場人物のほとんどが女性。それぞれの心理が書き込まれていて、各人の心に沿って読めるところが魅力でした。
NHKドラマになったんですね。
観てないけど、これは活字がいいような気がする。映像では生々しくてきっと苦手。


「こころと脳の対話」河合隼雄&茂木健一郎

お二方の複数回にわたる対談を収録したもの。
示唆に富む言葉が沢山。自分的に心に残ったところをメモφ(._.)メモ
・近代科学が排除してきたもの
科学は微妙なニュアンスを切り捨てるところから始まるけれど、僅か百数十年前にはこんな論文が・・・《私は苔むした美しい岩に目を留めていた。その後ずっと滝を見ていて、そこから目を離すと、苔むした岩が逆方向に動いているのが見えた》~一方向に動いているものを見続けた後、そこから目を離すと逆方向に物が動いているように見えることについての論文の序章。
現代だと《滝の落ちる速度は秒速何メートルで・・・》と書かなければならないけれど、心の動きとしては「苔むした美しい岩」を見ているほうが意外と本質だったりして。⇒素敵過ぎる

・関係性でのみ成り立つ確実性
今の脳科学では、非合理的なものは「不確実性」と捉えられるが、シンクロニシティは実は確実なものなんじゃないか。また、シンクロニシティとは自分の無意識と外のものが呼応すること。箱庭(療法)はこの無意識の噴出である。
・「偶然」というものを大事にする
・臨床心理学者としての河合隼雄の話を聞く態度
「中心をはずさずに」聞く。細部にとらわれない。バッターボックスに入ったバッター、あるいは五輪の書と同じ。
・「わかった気になる」落とし穴
属性でモノ・ヒト・コト(本文では諸外国)を判断しない。例えば近隣諸国で何か事件があると、それに引きずられて対中国観、対韓国観が動揺する。それに引きずられていると損するのにね。

あまりに広くて感想など書けないけれど、「偶然性を大切にする」は特に頷いた。
口にしたら「あなたのは行き当たりバッタリ、って言うのよ」って冷たい視線を浴びそうだから黙ってるのだけど、実は偶然性や第六感(ますます怪しい)は私にとってとても重要。
人生、冒険だからね

秘密のファイル 死ぬときに

「秘密のファイル CIAの対日工作」春名幹男
まだ上巻しか読んでいないけれど。。。
今まで断片的にだが、直接の話として見聞きしてきた種々の「ん?」(=具体的には書けないけれど、表の社会には出てこない事柄の断片は、超一般ピープルである私の近くにも沢山転がっている)の裏書を読んだ感じ。
本の中から例を挙げれば
・ポール・ラッシュ(=清里のキープ教会の創立者、いまや環境教育の総本山でもあり)が細菌人体実験の731部隊の石井中将の免罪に関わる工作に関与していた件
・大蔵省にCIAオフィスが置かれていた件
・山口淑子に情報工作員の嫌疑が掛けられ、イサム・ノグチとの結婚生活がすれ違いに終わった件
・日本の対米依頼心を強めるための情報操作、初期の民放ラジオ、TV番組はアメリカ大使館ラジオ部で作成されていた件
・日本の映画界でCIAやUSIAが演じた役割の大きさ
・綜合警備保障を設立した村井の正体 (防衛大、自衛隊とのコネクションいまだ強力)
しかしこういった本は全然読んでこなかったので、字面を追うだけで結構いっぱいいっぱい

「死ぬときに後悔すること25」大津秀一
1000人の死を見届けた終末医療の専門家が書いた、と副題にあるとおり。
正直、この先の時間を考えなくもない今日この頃、目に留まった本。といっても、図書館で大人気、何ヶ月か待ちました。
リビングウィルを明らかに、、などという項目はどちらかというと親に読んでもらいたい気もするが。。。
間違っても「この本読んでおいて」とは言えない
「夢をかなえられなかった」「健康を大切にしなかった」「仕事ばかりして過ごしてしまった」など、一つ一つは、普通に考えても後悔しそうな事柄が多いけれど、終末期の患者さんを多く見送ってきた著者の言葉には実感がこもっている。だから、まだこの先長い(と思われる)人にとっても、ふと立ち止まって考えるにはよいきっかけになる本だと思った。
加えて、心にしみる文章もあり、勝手に50代くらいのベテラン医師を想像して読んでいたのだけれど、途中で著者が自分より年下であることに気付いてすんごく驚いた。
いや、終末医療の現場に身を置くって、凄いことなんだな。。。


「速読記憶術」若桜木虔

面白かったのは、ここでも速読のために重要なのは、細部だけを注視せず、全体を掴む、武道と同じ、というようなことが書かれており、前日に読了した上記の本と共通項があったこと。まったく違う主旨の本なのに。同時に読んだということに、自分にとって何かの意味があるのだと思う。
もちろん、速読の目的は試験勉強や実用書を読むことであって、文章そのものを味わいたい小説や文芸書はその対象ではない。
圧倒的に好きな本ばかり読んでいる私にとって、この、情報を掴みながら読む、という行為は未だに難しいのです。正直、横書きのもののほうが情報はインプットしやすい。だから最も苦手とするのは歴史モノ。縦書きの年号なんて一向にイメージでも入ってこないんですよね、、、困った困った。
本題からそれるけれど、縦書きと横書き、それぞれの目の動きによって脳に与える影響を研究した人っていないのかしら・・・?



「津軽百年食堂」森沢明夫

弘前で食堂を営む家族。親子3代の物語。
最近耳障りな流行語「ほっこり」する一冊。
あまり多くは語るまい。

2010.12.09 / Top↑
マイスキーを聴いた後は、同じく中島公園にある道立文学館へ


特別展 吉村昭と北海道~歴史を旅する作家のまなざし~を見てきました。

黒部ダムの工事初期を書いた「高熱隧道」を読んで以来、気になっている吉村昭。
最近、北海道に関する作品も多いことを知ったのだけど、タイムリーな催し物。ラッキー

正直言って、吉村作品は重いので、好き、というほどではない。
沢山人が死ぬのは苦手なので、辛くて本を閉じたくなることもある。
展示の中に「終始一貫して人間の異常状態を追求」とあった。
納得。
でもなぜか、たまには読まなきゃ、って気になるのですよね。

道新出版の出していた月刊ダンに連載された取材ノートはとても興味深い。
三毛別羆事件についてや太平洋戦争勃発前夜、択捉に日本軍が集結していた話など(それぞれ「羆嵐」と「大本営が震えた日」になっている)の取材についてかなり詳細に書いている。

一貫して徹底した取材を貫いていて、戦争モノに関しては証言者の高齢化と取材困難を理由に筆を折っていることが印象的。

戦争モノは膨大な資料から取捨選択によって作品を構成する。それに対して歴史モノは数少ない資料を駆使してその間隙を埋める。だから作家のその時代に対する確乎とした考えを基に、その時代に生きた人間の把握が必要となる。歴史モノは史実の拘束を受けながら自由に筆を伸ばせる。


と書いてあって、これはもう、思わずチケットの裏に手書きでメモメモ。
そっかぁ~、そうなんだ~
なんだかこういう記述に触れると、作品を読むだけでない面白味を感じます。

夫婦で作家だったようで、そういった一面も紹介されていました。

吉村昭は東京日暮里の出身なのだけど、何故これほど北海道に足しげく通い、小説の題材にしたのだろう。
若い時から病に苦しみ、苦学し、決して恵まれていない彼の人生と、北国の厳しい自然や生活が呼応したのかな。。。
何かを作り出すということはストイックでなければ為せない技だと思うけれど、この人はその中でも抜きん出た存在なのだろうな。

この冬一番の冷え込みっていう日に見るにふさわしいものでした
2010.12.01 / Top↑
先日、Kitaraにコンサートを聴きに行った世界で活躍している女性指揮者西本智実さん&CDで聴いてお気に入りなチェリスト、ミッシャ・マイスキーの来日公演ということで、数ヶ月前から楽しみにしてたのです。
いやぁ、若い頃のマイスキー、かっこいいんですよ。古いCDのジャケだけで勝手にイメージしていたのだけど・・・
ミッシャマイスキー
今は魔王系・・・?w

ちなみにオケはラトビア国立交響楽団。バルト三国の一つですね。行ったことないけど、鼻の高い美人が沢山いるイメージかな。マイスキーもラトビア出身だそうです。

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 より第1幕への前奏曲
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104, B.191
ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調 作品47

ワーグナーはオケのみ。親しみ深い曲ですよね。
西本さんとオケの息もぴったりていうか、西本さん「男装の麗人」的に有名だけれど、タクトを振っている横顔はなかなかソフトでそのミックス加減が素敵でしたわ~

ドヴォルザーク、ソロ(マイスキー)の出だし部分で管のタイミングがずれたような気がした。
聴いていた座席が前から2列目の端のほう、目の前がファーストバイオリンの人たちの二の腕(笑)みたいな極端な位置だったので、場所のせいかとも思おうとしたのだけど、なんだかそれ以降、管のリズムばかりが気になってしまってなんてもったいない聴き方なの~。とちょっと自己嫌悪

休憩挟んでショスタコ。これはとってもよかった
ショスタコって難解なイメージがあるけれど、このシンフォニーはまだ聴きやすい方なのかな?
CDは聴いたけど全然覚えてないから、やっぱり旋律を追っかけるので精一杯。
暗く切ない雰囲気の中にも時折差す光、そのいったりきたりに揺さぶられるような気持ち。
ソ連時代の抑圧されたな社会情勢を表しているんでしょうね。
最終楽章には救いがあるように思ったけれど、ウィキるといろいろな解釈があるようです。
以下転載↓
ビゼーのカルメンのパロディを巧みに織り込んでいるとも言われる。その『ソドレミ』というメロディにはカルメンの中のジプシーの『信じるな』という台詞がついており、それがスターリンの圧政や粛清に対する巧みな批評であるとすれば、当時のロシア革命20周年記念の場での発表という二枚舌の作曲ということになる。
もしこれが本当だったら結構面白い。

アンコールはチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」レンスキーのアリア(もちろん歌はなし)でした。
オケにとって弾き慣れている曲のようで、オケメンバーも楽しげな演奏。
自然に聴いているこちらも楽しい気分になってきます。
コンマスは弦が数本切れちゃうほどの力奏でした

拍手なりやまず、スタンディングオベーション。
おや?あそこで立ち上がって大げさに拍手してる人、さっきまで寝てましたよ?なんて見えてしまう自分の目がコワイw

びっくりしたのはマイスキーのサイン会
演奏も全て終わっていないというのに、休憩時間から始まるというアナウンス&ロビーには長蛇の列。
客席の居眠り組も多かったけど、こういうのには素早いんだなぁ~と変なところに感心。
でも、超・有名なマイスキーさん、人だかりの向こうにちょこっと見えた横顔、意外に気さくな雰囲気でした。

ちょっと不思議だったのは客層。
1つ目のプログラム、ワーグナーの第一楽章が終わったところで、でちゃった~拍手。
それもパラパラじゃなくて結構な人数だったような気が
とほほ~なんだか北海道の恥さらしのようでガックリです。
あと、どう見てもそちら系(どちら系かはご想像下さい)の方々がチラホラ。
いえ、別にそこご商売なさるわけじゃないので構わんのですが、一体チケットってどういうルートで流れているのだろう?と余計なことを思ったりw(こんな高いチケット、もらってるんだったら羨ましい~
終了後、音楽系母と電話。「やっぱり有名どころが来るとミーハーが多くなるんじゃない?」って。ええ、私も充分ミーハー気分なんだけどね(笑)
2010.12.01 / Top↑
まとめ
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