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11月中旬、久しぶりに熊野を訪れる機会に恵まれました。
中辺路を歩くのはもう何度目だろう???
今回はまず2日半をかけて中辺路を歩き、さらに2日で小雲取越・大雲取越の予定。
札幌からだと移動に1日弱かかるので、下手な海外旅行よりも時間を要するのです。


滝尻王子跡より出発。
熊野の中でも格式の高い五体王子のひとつ。ここで平安貴族の歌会などが行われたとのこと。
平安、、、ってねぇ!(熊野古道は平安の上皇たちが熊野詣でに歩いた道なので、あたりまえなんですけどね。倭人の歴史の短い北海道から行くと、あまりに年月が経っていて頭がくらくらするわけで)
初日だけあいにくの小雨でした。

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いきなりの急登だけれど、すぐに最初のランドマーク、胎内くぐりと乳岩に到着。
熊野には何か所か藤原秀衡の伝説の残る場所があるけれど、この乳岩もその一つ。
奥州から熊野詣!飛行機のない時代にwそれだけれもすごいけれど、
産気づいた奥さん、子どもをここに残し、参詣して戻ると岩から滴る乳を飲んで成長していたという。
不思議な言い伝えがたくさん残る紀伊山地であります。

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針地蔵尊
使えなくなった針を祀った、という話も聞くし、針2本と糸を鳥居に見立ててお祀りしたもの×沢山が
集まってそうなった、という話も聞いたことがあるような・・・気がします。

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高原熊野神社へ到着。
色は塗りなおして綺麗ですが、熊野古道界隈では最古の木造建造物。

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そして境内のクスノキは樹齢何百年なのでしょう。
小雨も手伝って、いつになく神秘的に見えました。
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翌朝はこの高原霧の里から再出発。
棚田とはさがけが美しい里の風景。快晴!

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高原神社横と、ここの2か所、集落の出口/入口に庚申塔が。
庚申信仰の話などを聞く。
庚申の日に寝てしまうと、臍から虫(三尸)が抜け出して、閻魔さま(?)にその人の悪行をチクられちゃう!ので、村中の人が集まって寝ずに過ごしたそうで…
60日に一度、村の寄合のような意味もあったとか。
(10回以上聞いてるけれど、わたしの理解はこの程度、間違ってたらごめんなさ~いw)

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熊野古道のポスターで有名になった、牛馬童子
光の加減でイマイチですが、花山法王が馬と牛に同時に跨っている様子、と言われています。
意外に小さいです。
デンマークの人魚の像も小さかったけれど、もっとちっちゃい。

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だいぶ割愛して、近露王子跡。
紅葉の始まりかけのモミジがいい感じ。

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近露集落は、(平安よりはだいぶ新しい)昔懐かしい建物が随所。
よく見ると、看板なども興味深い。

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外国からのハイカーも多い熊野古道。
こういう風景は日本らしくていいかも?!

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なぜか懐かしのレコードシリーズ(笑)

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これ、お茶の花ですって!
初めて見ました♪

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今まではこの行程を2日間で歩いていたため、割愛していた野中の一方杉に初めて来ました。

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一方杉、って、枝が一方向に出ているから、なんだそうです。
落雷の仕業でしょうか。

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蛇形地蔵
お地蔵さんの背後の岩に蛇模様が出ています。
ここにもいろいろないわれが。。。詳しくは現地で!    ん?

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ここは2011年の水害でがっつり崩れてしまった跡地。
あの時はまさに、熊野本宮大社が流された明治22年の大水害と同じようなことが起こっていました。
小辺路も既に歩き、十津川村→新十津川の入植物語も読了していたわたしは、あまりの水害に心を痛めていたのでした。
今もつい先日の大雨で一部不通&迂回路部分もあるものの、おおむね歩ける状態となっている中辺路にちょっと胸をなでおろしたところ。

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発心門王子
一般のツアーだと、ここから本宮大社のパートだけを歩くことも多いのだとか。
毎回、滝尻から歩いているわたしにとっては、もうここまでくれば一安心、という王子跡だったりします。

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熊野古道は森林の中を歩く部分が多く(これも明治以降、山中の集落から撤退して人が里に下りる際に、周辺に植樹していったからであり、それ以前は山の中にも多くの人が暮らしていたんですね)空がひらけた場所が少ないですが、伏拝王子手前から果無山脈を見上げる。
小辺路は果無山脈を越えます。
そこがまたすごくいいんだな。。。→熊野古道・小辺路(昔の記録)

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だいぶ端折って、熊野本宮大社に到着~

まずは一旦ここで区切ります。

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2017.12.08 / Top↑
2本で沢納めをした後は高度感のある山歩きを計画していたが、あいにくの天気で鎖場はパス。
南牧村のさらに奥、群馬県と長野県の境目にあるという洞穴群を目指して移動してみた。

道中の道路わきから既にこんなゴルジュ。
蝉の谷というらしい。
両岸は秩父群のチャート(=硬質の珪酸分に富んだ堆積岩)であり、衝撃に弱く砕けやすい。
このため洪水時に河床を転がってきた大岩が川底のチャートを砕き、河床面を下げていったと考えられている、とのこと。(立て看板より)
蝉は「狭水」の転訛とか。ほお~~~
ゴルジュ一つにもものがたりあり、ですな。

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確かにすごいのです、ここの景観。
南牧村の奥にのびる県道93号線沿なんだけど、車でぶーっと通り過ぎちゃうにはちょっともったいない。

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だんだんと道は狭くなり、108号と分けるあたりからかなり通行も怪しくなってきて~
ついに通行止めの看板に阻まれた!と、苦労しつつUターンを試みていると、ユンボだけおろしてトラックが戻ってきた。
聞いてみると、峠は崩れてて通行止めだけどもう少し先まで行けると思うよ、とのこと。
たどり着くまでが既に冒険じゃ、、、

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道の両脇はこんな切り立った岩壁。紅葉綺麗~
ま、本州はこういうところ多いけれど、北海道に慣らされた目には少々新鮮かも。

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なんとか本当の通行止めの手前の広川原集落(跡?)へ到着。
シーンとして不思議な雰囲気。
もちろん携帯の電波はない。
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2013.11.14 / Top↑
よくばりなので、あちこち足を伸ばす。

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大台ケ原へ。
日の出が岳山頂から見下ろすと、尾鷲湾が見えるんだ!
自分は奈良側から行っているので、海が見えて「オ!」っと思ってしまった。
大谷杉の方からの沢ルートで来てみたかったなぁ・・・もう復旧することはないのだろうけど。

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ハイウェイが出来、観光と食害などなどで一面、木の墓場と化している。
奇しくも北海道を舞台にした大雪縦断道路造成をモチーフにした小説を読んでいる最中だったので、現実とオーバーラップしてしまった。
大雪山の計画は幸い、凍結のままなくなったけれど、もし実現していたらと思うと空恐ろしい。

ビジターセンター(は一応あるのだが)そのあたりの解説があまりに手薄なのが至極残念だった。

ここで印象に残ったのはどちらかといえばこの遠景かな
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吉野以南の大峰山脈がはっきりと見渡せるような快晴。
1週間くらいかかるけれど、いつか縦走したいのだ。いつかね。

で、お次は(ってもちろん別の日ね)明日香村です
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あら、いきなり「おトイレ」でごめんなさい!?遺跡・鬼の雪隠でございます(笑)

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こっちはかわいい、亀井氏、いやそれはかわいくない、亀石。

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定番、石舞台。
ずっとコレ、これだけなんだと思ってました。

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中はふか~くて、こんな大空洞になってるなんて、知らなかったー!
飛鳥時代にこんな大きな石をどうやって運んだのだろうね。
いろいろと仮説はあるけれど、はっきりしたところは分かってないとか。

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さらにもうちょっと古道を歩いたりして。

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峠の茶屋、ってどこにでもあるのね。

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由緒あるお寺・円成寺の五輪塔。

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お約束?!大仏さんを見学して修学旅行は終了~?
... 続きを読む
2012.05.09 / Top↑
GW前半は西のほうへ旅に出た。

まずはソメイヨシノの語源にもなった吉野山へ。
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もちろんソメイヨシノは終わっていたけれど、八重桜は少し残っていました。

今年はあっという間に北海道にも桜前線が北上し、過ぎ去っていったので既に目に新しくはないけれど。。。

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奥千本まで登り、吉野を振り返る。
桜の季節は山全体が桜色になるという。

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吉野山の奥ノ院、金峯神社。大峰奥駈道の入り口とも言い換えられる。
小さいながらに重みを感じるお社。


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さらにその奥に、西行が俗世から離れて修行したという西行庵。
さすがに建て直したものだろうけど。

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さらに音無川沿いに歩を進める。
木漏れ陽があると緑もきれいだね。

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山を下りきったところにある蜻蛉の滝は、フレームに収まりきらないほどの立派な滝。
岩の割れ目にある大滝で、不思議な形をしている。

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見下ろした滝壺はこんな感じ。

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桜吹雪に出迎えられて、桜散歩はゴール。



2012.05.09 / Top↑
唐突ですが、中学生の頃、国語の教科書に載っていた三好達治の詩「大阿蘇」を読んでえらく心を動かされて(?)以来、
’阿蘇に行くなら雨の中で馬が草を食んでいる様子が見たい’と常々言っていた(変な子どもである)
で、学生時代にかの地を旅したとき、念願はかなったのだが。。。
雨の阿蘇山って、ガスで何にも見えないっす馬どころか、な~んにも。
で、今回もIMGP5024.jpg子どもの頃の願いが強すぎたのか?!
私は一生晴れた草千里ケ浜を目にすることは出来ないかも(笑)

そんなわけで、山に別れを告げて南の海際を目指す。
鹿児島は出水ツル観察センター(ちょうど11月1日からオープン♪)にて

ここは島津藩が17世紀頃に干拓して以来、鶴が飛来(越冬)するようになったそうだ。
大正10年に天然記念物指定された(=法律が出来たとほぼ同時。ちなみに我らが藻岩山もですね)というのには驚き!
写っているのは’ナベヅル’白いのは多分’ダイサギ’ (もっとも、ここなら’チュウサギ’の越冬固体って可能性もあるのかなぁ・・・?)
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刈入れ後の水田に籾殻をまいているそうだが、コンデジで撮るにはちと遠い。
持参した双眼鏡で片手デジスコ(笑)
5羽、10羽と群れになって夕暮れとともに戻ってくる姿はとても優雅。
窓にへばりついて、ツルの肩甲骨の動きや着地時の足の動きに見とれてしまうのでした
まだ1万羽に満たないそうだが、その大群は宮島沼のマガンを見て以来の感動だった。

新燃岳活動中の霧島連山。お山はまたもや
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霧島神宮。
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裏道で見つけた烏瓜と欄干の朱塗りは同じ色
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次は縄文時代へタイムトリップ
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上の原縄文の森↑いやこれは模型だけど。9500年も前の集落跡や桜島噴火の火山灰地層が見られる。

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花尾神社;さつま日光とも呼ばれ、由緒正しき神社で天井絵が素晴らしいとのことだったけれど、湿気と気温でほとんど剥げ落ちてしまっているのがもったいない。額には「琉球之使者」との記名もあって、薩摩・琉球の交流の深さを実感。

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倉野磨崖仏;鎌倉末期に彫られた凡字、だそうです。
磨崖仏というからもっと大きなものを期待して行ったんだけどマニアック過ぎたか(笑)

最終日はやっとた!
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鹿児島は島津氏の鶴丸城址へ。一番親しかった祖母のルーツがこの辺りだったと聞いているので、一度は訪れたい場所だった。今は石垣とお堀しか残っていないけれど、城郭があったお山は城山公園として整備され、桜島を臨むことができる。
照葉樹の大木を見上げながら、しばし古に気持ちを泳がす。

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フェリーで桜島に渡る。写真右下は避難壕。山に近い場所では各家庭の庭にも設置されているそうです。
大地のパワーを目の当たりにして、旅は幕を閉じるのでした。
2011.11.14 / Top↑
まとめ
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